2006年2月25日、ダブリン

なぜ今この事を書こうと思ったのかはよくわからない。



2月25日土曜日、午後2時、ダブリン。
バスに揺られcityへ向かう。
バスを降り、いつも学校へ向かう道と逆の川が流れる方へ向かう。
歩いてまもなく偶然ルームメイトに会う。
それまではいつもと同じ光景である。週末で人が多い事を除いて。
CONNOLY駅へ行くためリフィ川を渡る橋を目指す。
橋が近ずくにつれやけに騒がしい。
国旗を持った人やアイルランド妖精の着ぐるみを着た人たちとすれ違う。
そして橋のある広い通りに出る。すごい人だかりである。最初祭りでもやってんのかと思った。


そんな時だった、何やら炎が宙に舞う。
それから凄い爆発音が響いた。それは火炎瓶だった。
土曜に白昼堂々とクーデターである
ひとつ火薬が爆発したのを皮切りに次々と爆発音が響き始めた。
そして若者集団が街のダストボックスを蹴り倒しワァーワァー言いながら、ビール瓶をちょうど橋の向こうの警察向かって投げ始めた。
警察はシールド持って構え必死にこらえている。
ビール瓶の雨がやんでしばらくして、察が一斉に突撃。一気に暴動していた集団がその場から逃げ出す。
その周りにいたたくさんの野次馬の群れも一斉に右に左に入り乱れその場を離れる。
野次馬に紛れて暴動を見ていた俺も混乱の中その場を離れた。
それから橋を渡り逆側へ行く。
途中で倒れて意識失っている同僚を抱え、無線で連絡している警察。
渡り終えた先には3メートルは超えるであろう鉄の柵。
その向こうにまたあふれんばかりの野次馬がいっぱい。
カメラや携帯片手に暴動を撮っている。
電話ボックスに上り見渡す人々。


それからしばらく車がサイレンをならしながら何台も前を通り過ぎる。
また橋を渡り様子を見に行く、さっきまでやっていた近くの美容院のシャッターが閉まっている。
周りの店も一時的に閉めていた。ショーウィンドウが割れている店もちらほら。
察のワゴン車がまたサイレンならしながら通りすぎる。
道路のあちこちに割れたガラスの破片が散らばっている、そしてすごい静かだ。

静寂、

一応クーデターは治まったらしい。



家に帰りテレビをつける。時同じく暴動に居合わせたルームメイトと話していた。
ニュースの映像は車のフロントガラスをバットで割っている人、炎上していく車。
血まみれで倒れている人。俺がみたそれよりはるかに悲惨だった。
最初暴動に出くわした時、滅多に見れるものでないと面白半分に野次馬と混ざっていた自分が恥ずかしくてしかたなかった。

夕食時にホストマザーがこんな事初めて起こったって言っていた。
原因は北部アイルランドの人達が未だイギリスから独立できない事に対、アイルランド政府に対する反抗。
昔はよくあったらしいが十年以上前にもう反乱はしないと約束し、それ以来の事。
しかも市街地のど真ん中でやるのは今まで例がない。
翌日の新聞は暴動の記事でいっぱいだった。
一日しかもたった2,3時間の出来事で被害総額は1000万を超える。
日本でどの程度報道されたのかは知らない。


その時つけていた日記を始めて今日読み返した。


なぜ人は傷つけ合う